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2010年6月1日火曜日

003_個展「崩壊の誘惑」展示作品

















































「崩壊の誘惑」展の時には、彼女の写真が大半を占めた。
この時代の自分の心象風景に彼女のルックスが
ぴったりだったのだと思う。いまでもずーっとお気に入りの写真。

001_グループ展「Cabaret Tapio」展示作品

















































画像合成技術的にはこの後の「崩壊の誘惑」展に
出品した、作品の方が上だが、大胆な構図と、
画壇系の作家も多く出品するグループ展への
反則的な参加によるインパクトは多大であった模様。

2010年5月6日木曜日

011_グループ展「現代存在派展」展示作品






廃車も色んな動物の住処だったり子供達の隠れ家だったり農夫の雨宿り、喫煙所だったり。朽ち果てるまでそこにあるんだろうなと。私有地っぽいから、公認なんだろうなと。で、ただなんとなく、ナウシカ思い出したんだ。なんでかわからないけど。

032_Kounomai_Noboribetsu_Sapporo_Kitamimonbetsu

いったいどういうバランスで残っているのか、他の部材の残骸はどうしたのか、誰かがかたづけたのか、それとも焼失したのか...なぞの多い壁だけ廃墟である。もはや空間を成していない建造物なのに奇妙な空気の記憶だけが残っていそうである。























蝦夷鹿の白骨。屍骸を、肉がついた状態のまま土に埋めて放置するのだそうだ。様々な生物が上手に食いつくして、奇麗な白骨となるらしい。あとは掘り出して雨ざらしの天日干しでバクテリアや細菌がいなくなったところで装飾品にするらしい。




古道具の持つ空気は、「本物」の臭いがする。様々な修理道具や修理技術とともに使い続けられて来た物ならば尚の事、長寿の歴戦の老兵の様なそこはかとない重みがある。古びてカビ臭い書籍にもまた同じ空気を感じるのはなぜだろう。

下、おそらく、崩落した雑貨屋?商店の廃屋。左中断ほどに、昭和天皇のお写真が飾ったままになっていた。ほうきの横に、おそらく人が住んでいた時のままに。必要な物だけ持って引っ越したのか、人だけが先に消滅したのかわからないが、町が死ぬという事はこういった事なのだろう。

025_グループ展「Cabaret Tapio」展示作品











































煙突と壁だけが、風に吹かれたら倒れそうなバランスで立っていた。死んだ町の死んだ学校。あまりにも車が通らなすぎてご覧の通りの道があった。死に行く道路。何処にあるかは秘密。場所もモデルもそうだけど、教えると、ろくな事にならないね。

2010年5月2日日曜日

024_個展「沈黙の理由」展示作品










※作品シリーズのいくつかに表現されている「肉体から飛び出ている赤い物」は、
傷口や肉片を表しているのではなく、ナニカの宇宙的もしくは
呪術的パワーにより肉体が変化しようとしている様子を
フィクションで製図、画像合成したものです。また、炎に包まれた表現は
火災現場ではなく、宇宙戦争や魔術戦争のようなSF的な物語ですのでご了承下さい。



















































































理由は言えないし、結局後付けになるのが関の山。感じた事を感じたまま。もしくは感じやすいように、感じられるシチュエーション、または素材。到達点のイメージはないのだ。もがいてもがいてたどり着く作業がいつもの個展の作品作りだ。撮らされて、向かわされて、たどり着こうとして最後に見えたもの、そこでサインを入れなければ終わらない画家の心境に似た作業は孤独に繰り返されていく。気がついたら物語がうっすらと見え始めて連作の骨が見えてくる。そうしてはじめて気がつくんだ。ああ、だからこうして撮影したんだなと。

023_個展「沈黙の理由」展示作品























































解らない。脆弱なのか強靭なのか。柔らかい物なのか、鋭い刃物なのか、あるいは、その全てなのか。理解しようとすればするほど混乱してゆく。わかってしまった時点で、それは既成イメージの押し付けになってしまって、距離が遠くなってゆくばかり。苦しみも悲しみも時代を受難する不平等な感受性も、そしていびつになった幼さや甘えた心も。自分の心の奥底に潜んでいる物は、意外と我慢強く努力家的な部分が骨格を作っているのだと信じたい。尊厳という名前の守るべきナニカ。のために。戦おう。せめてそのナニカのためには。