
「女性鑑賞家」と自分の肩書きを名乗る以前には、「セラピー・フォトグラファー」であったり、「エッセイ・フォトグラファー」と名乗っていた。いずれも気恥ずかしい肩書きだが。しかし、カメラマンでも写真家でも、フォトグラファーでもなんとなく自分の活動に誤解がつきまとう気がしてならなかったのだ。色々と社会や出会いに翻弄されたり過剰に期待されたりと右往左往の人生の中で養われた感性が「これはわかる!」といったナニカを残したいだけなのだ。ポートレート撮影でもそれが言える。「じれっったい」や「がまんできない」「いったいどうするの」など、ひと言で言い表せそうなテーマを先に感じ、その表情を先回りすればよいのだ。当たり前と言われれば、そうなのかもしれないが。
